
人間の心のどす黒い部分を描いた作品て、なんであんなにも引き付けられるのでしょうか。
恐怖映画やパニック映画とは違う怖さが、癖になるというか病みつきになって、1本見ると連続で見たくなりませんか?
そこで今回は邦画から人間の闇の部分が垣間見れる映画を4本ご紹介します。

主な特徴として、良心の欠如、他者への共感がない、罪悪感がない、息を吐くように嘘をつく、自己中など。
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保険金詐欺のサイコパス女を描いた傑作『黒い家』
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猟奇的な保険金詐欺とサイコパス女を描いた作品。保険金に絡む事件がテーマなんですが、和歌山で起きた毒物カレー事件と内容が酷似していることでも話題になりました。
初めて観た後、とにかく大竹しのぶが怖すぎてトラウマになりました。
良心の異常な欠如や、感情が全く読み取れない文章、無邪気な子供のような罪悪感の無さなど、まさにサイコパス中のサイコパス。サイコパスの能力値を、悪の方向に全振りしたらこうなるんじゃないかと思えるような凶悪な女です。
この作品の何が怖いかって、本物のいかれたサイコパスに関ってしまった恐怖を疑似体験できることです。
そのため自分の身近にもしもこんな人がいたらと考えると、体の奥底からじわじわとした恐怖が襲ってきます。
僕はもうこの作品を3回以上観てますが何度見ても怖さは薄れません。逆に繰り返し観ることで、細かな設定がわかってきて、より一層恐怖が増す中毒性のある作品です。
今まで自分の身近に、壊れた人間がいなかったことを、本当に感謝したくなる作品でもあります。
軽い気持ちで観ると「ヒト」自体が怖くなるので注意しましょう。特に毎日不特定多数の人と強制的に関わらなければならない、接客業の方は要注意です。
人間本来の怖さと凶悪さを見せつけてくれる作品『凶悪』
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原作は実際に起きた凶悪な事件を基にしたノンフィクション小説「 凶悪 -ある死刑囚の告発-」。獄中の死刑囚が告発した事件の真相を、編集部が暴いていく犯罪ドキュメントで、TVなどでも紹介されています。
この作品は凶悪な事件を通して、人間本来の怖さと凶悪さを見せつけてくれる作品で、普通の人間が持っている闇の部分をエグイ感じで描いています。
不動産ブローカー役のリリー・フランキー演じる先生は、とにかく震えるほどに最低な人間です。
サイコパスのような分かりやすい精神異常者ではなく家族がいて、周りからは先生と呼ばれて慕われているような、一見凡庸で善良に見えるからこそより心の闇をどす黒く感じてしまいます。
そんなリリー・フランキー演じる先生が、ラストで主人公の山田孝之にある言葉を言い放つのですが。。。。
僕はここで結構なショックを自分自身に感じました。
「こんな最低すぎる悪い人間が本当にいるんだな」「さっさと極刑になればいいのに」なんて思いながら観ていると、まるで自分自身に言われているようで衝撃を受けると思います。

どす黒い凶悪な感情は、凶悪な犯罪者だけではなくて正義の味方であろうとする人にも、普通の主婦にさえ存在する。
「自分だけはそんな人間じゃないと思ってた」「自分は人の心がわかるまともな人間だ」そう思っていると、最後に自分自身にも深い闇があることに気付かされて、衝撃と同時に自分自身が怖くなる作品でもあります。
また個人的には主人公の妻の池脇千鶴が、主人公が書いた記事を見ながら語り掛けるシーンがすごく印象的でした。
邪魔になった人間は容赦なく排除。サイコキラー教師を描く『悪の教典』
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このジャンルでは定番の作品ですがやはり外せません。
他人への共感能力を全く持ち合わせていない、サイコパスの人格を持つ高校教師が引き起こす事件を描いた作品です。
この主人公はいわゆるサイコキラーで、作品としては後半暴走していく部分が山場だと思いますが、僕は前半の淡々と仕事をこなすように犯罪を実行していく部分が、より強くサイコパス感があって主人公の蓮見の異常さを感じるように思います。
この主人公蓮見の特徴は表と裏の顔の差が激しいこと。表面上は生徒から絶大な人気と信頼のある高校教師で、頭もよく有能な人物です。
そして実はサイコパスはビジネスリーダーに多いといわれています。
リーダー的特質とサイコパス的特質に似た要素があって、目的のためには手段を選ばなかったり、人を心酔させ魅了することで、人を思うように操る力を持っているのが共通点です。また重圧化でも感情に打ち負かされない狂人な心は、リーダーとして必要な能力でもあります。
またこの手のサイコパスは共感スイッチのオンオフが可能だそうです。
この特徴がぴったり当てはまるのが、主人公の蓮見で、頭の回転が早く有能、また圧倒的な行動力で人を操り、自分の周囲を支配していきます。さらに少しでも邪魔になった人間は容赦なく排除していく。
先ほど紹介した黒い家のサイコパス女とはまた違った怖さですが、どちらが怖いかというと。。う~んどっちも怖いし関わり合いたくはないですね。

それでも復讐をダメと言えるのか?いかに罪の意識がない人間に対して罪を償わせるのか?女教師の復讐を描いた『告白』
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生徒に娘を亡き者にされた女教師の生徒たちへの復讐を描いた作品です。
松たか子の淡々とした語り口調が印象的で、とても静かなのにただ事ではない怒りや不穏な怖さすら感じさせます。
もしも大事な人間が些細な理由で、主人公の娘さんのようになったら?僕も法律や倫理なんて関係なく、復讐したくなる気持ちになるかもしれません。
特に犯人が今回のように罪の意識が全くないような人間であればなおさら。例えそれが少年であったとしても許されるものでは決してないと思います。
今作の主人公は間違いなく闇に落ちていますが、娘のために戦う覚悟と少年達の残虐性を凌駕する悪を手に入れるために、むしろ自分から悪の領域に踏み込んでいるように感じました。
普通の人間がそう簡単に復讐なんてできるわけがないので、やはり犯人と同じ土俵にあがるくらいの覚悟がなければ難しいのかもしれませんね。
犯人である少年AとBは犯行後も平然と学校に通い何の反省も見受けられません。そんな犯人と嫌でも毎日顔を合わせなければならない状況で、主人公の女教師はむしろよくここまで我慢できていたと思います。
そのため淡々と用意周到に、恐ろしい復讐を遂行していく様はむしろ爽快に感じるほど。とにかく犯人の少年2人を、自分と同じかそれ以上の苦しみを味わうまでとことん狡猾に、精神的にどん底まで追い詰めていきます。
いかに罪の意識がない幼稚な人間に対して罪を償わせるのか?自分の犯した罪の重大さや、罪深さを実感させた上での今作の復讐は、そのひとつの答えのように思えました。
この作品は主人公、犯人、周りの生徒や家族含め最後まで結局誰も救われない映画です。そのため人によってはとても嫌な気分になるかもしれませんが、それでもあえてそれら全てを含めた上でも、この映画は素晴らしい作品だと言いたいです。

まとめ
人間の闇が描かれた映画って、結局自分自身含めて、改めて人間というものを考えされられるからこそ、引き付けられるものがあるのかもしれません。
一歩道を踏み外せば、いつでも悪の方向に振れる可能性を誰もが秘めていて、その恐ろしさに気付かされることで、改めて平凡な日常のありがたみを強く感じることでしょう。